“寂寥”の桜伝説 桜怪奇エッセイ 桜を愛でる鬼

怪奇文学研究者・志村有弘さんによる 「桜怪奇エッセイ」

3 一見にして心を奪う花 桜を愛でる鬼

藤原道長の娘の彰子が京極殿(道長の邸宅)に住んでいたとき、南面の桜がなんともいえず美しく咲き乱れていた。そのときたいそう気高く神さびた声で、

こぼれて匂ふ花桜かな

と詠む声がした。声を聞いた彰子は「どのような人がいるのだろう」と簾の中から見たけれど、誰もいない。みんなにあたりを捜させた。だが、誰もいなかった。その結果、〈鬼神などでも言ったことか〉と怖れていた。

兄の頼通にこの不思議なことを伝えると、「あの場所ではいつもそのように歌を詠むのです」との返事。彰子はますます怖れおののき、その後は近くにも寄らなくなったという。『今昔物語集』の霊鬼の巻(巻第二十七)に収録されている説話である。鬼が詠んだ歌は、『新撰万葉集』などに見える、

浅緑野辺の霞はつつめども
こぼれて匂ふ花桜かな

(浅緑色の野辺は霞がたちこめて包んでいるけれど、
咲きこぼれている桜の花の美しいことよ)

である。作者は誰であるかは分からない。南面に現われた鬼は、桜の花を愛でて、思わず歌の一節を口ずさんだのであろう。

軍歌「同期の桜」には桜と同じように「咲いた花なら散るのは覚悟」という一節がある。武将の辞世の歌にも桜を念頭に置いたものが多い。日本人はどうも〈死〉を前にしたとき、桜の花を想起するらしい。とすると、桜は〈死〉と背中合わせの花として日本人の心の中に根を下ろしてきたのかもしれない。

次ページでは、桜にまつわる小説を紹介

志村有弘(しむら くにひろ)

日本文藝家協会会員・日本ペンクラブ会員・相模女子大学教授・八洲学園大学客員教授。北海道深川市生まれ。伝承文学を専攻。主要著書に『怪談実話集』(河出文庫)・『新編 百物語』(河出文庫)・『陰陽師安倍晴明』(角川ソフィア文庫)・『悪霊祓い師物語』(大法輪閣)など。

写真:志村有弘(しむら くにひろ)

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